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〜生活科の時間の寝言〜
『心あることも心もとない』
 
 半年くらい前のことであるが、「意識する動物たち(レスリー・J・ロジャース著)」
という本を読んだ。

 内容は書名とは若干異なっている。人間以外の動物が意識を持つのかどうかの判断方
法、および、意識を持つという見解の研究例、逆に、意識を持たないという研究例、の
紹介である。
 著者自身の研究報告があったかどうかは忘れたが、著者の論旨がひしひしと伝わって
くる。自分が感じた範囲で総括すると、
 ・「動物が心を持つか持たないかを判断する研究」に対する考察
 ・「動物の心が人間に劣っているという信念から生じる、動物の隷属化」への警告

 心とか意識とか書いたが、その定義はなかなか難しい。本にも、定義は難しいと書か
れているし、実際に本の内容を読み下していくと定義の難しさが分かってくる。そもそ
も、動物の意識というものは人間の基準で定義することはできないのかもしれない。例
えば飛ぶ鳥にとっての認知能力の重要課題は、人間より遥かに優れた3次元解析できる
ことである。だから、飛ぶ鳥にとっての意識は、哲学や自己認識ではなく、空間の認識
が根幹となっているかもしれない。そういう基準の意識を理解するのはかなり難しいだ
ろう。

 この本は面白かった。しかし、私はなぜか面白いということよりも他の何かに気を引
かれていた。そのときは自分の気を引いたものが何なのか分からなかったが、数ヶ月後
にある本の書評読んでいて、あっと気がついた。その書評にはこう書いてあった。(日
経サイエンス 99年10月号巻末の書評欄より)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(前略)
 わが国(注:日本のこと)の人々は、人間を特別な動物と考えない傾向があり、多く
の昔話や近年の「忠犬ハチ公」の話に表れているように、イヌ・サルなどの動物が人間
と似た感情や心を持つことは当たり前と考えているようだ。
 しかし、西欧の人々や専門家たちは必ずしもそうではない。デカルトは、「人間のみ
が意識を持つ生物で、他の動物は自動機械である」と述べたし、(後略)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 意識とは人間だけがもつ特別なものだと考えられている、ということはもちろん知っ
ている。しかし、生まれてこのかたずっと生粋の日本人だし、それに加えて動物好きな
ので、動物には心がないなどと本気で考えたことが一度もなかった。

 だからこそ、動物が心を持つという研究結果の妥当性を真剣に検討していることに、
しかも、動物は心を持つと信じている人がその考察を行っていることに、驚かされたの
だ。

 しかし考えてみると私には、「動物が心をもつ」という根拠などない。確かに「意識」
と定義されるほど高等な心をもつのは人間だけかもしれないが、動物に全く心がないな
んてことはあり得ないと思っていた。何の根拠もなくただ盲目的に、動物も心を持つも
のだと思っていた。
 そんな思い込みは、宗教的な教えにより動物には心がないと盲目的に考えている人と、
同じレベルの情けなさだ。

 依然読んだ本に、人間の反応にも原始的な本能に拠るものが多い、と書いてあった。
 例えば、蝶々の中には、特定の模様に反応して生殖行動をとるものがある。実はそれ
と同じように、人間でも、紙に貼りついた数色のインクの点々をみただけで性的に興奮
する。
 色の並びを見て生殖活動を促される事実は、人間と蝶々とでなんら違いは無いらしい。
つまり、人間がグラビアを見ようとする欲求は、ごくごく低い程度の本能に基づいてい
るというのだ。
 同じように、かなりの欲求や反応には高度な意識などまったく必要無く、心が介在し
ていないのではないか、という考え方もできる。

 意識や動物の心についての本は他にも多数あるので、もう何冊か読んでみようと思う。
少なくとも、動物にも心があるということの根拠が欲しい。心があるという思いこみだ
けというのも寂しいものだ。
 いっそ、人間を含めた動物には心がなかった、という結末だって構わない。

散歩  07/Dec/1999

寝言