〜国語の時間の寝言〜
『上りはどっちだ』
ところ違えば言葉も違う。
以前、三重に出張していたときのこと。仕事終わりの帰路で、タクシーの運転手が話し
かけてきた。
「コンビニはよろしかったですか?」
質問の意味に頭を悩ます。「コンビニがよかった」って何のことだろう? 私は仕事場
から直接タクシーに乗りこんだのであり、コンビニなどには行っていない。
しばし考えた後、質問の意味がわかった。そのときはもう深夜だったので、食事をとる
店も開いてないからコンビニにでも寄りましょうか、と気を利かしてくれたらしい。
どうして、「よろしかったですか」と過去形にして聞くのだろう?
そういえば、名古屋でも同じように違和感を覚えたことがある。お好み焼き屋の店員に
「そのメニューは20分ほどかかりますがよろしかったですか?」と聞かれたのだが、そ
れも過去形を使うようなシュチュエーションではなかった。
どうやら、東海、関西地方ではそういう尋ね方をするのが普通らしい。
同じ日本語でも方言があり、文法もほんの少しだけ違う。これが外国語になると単語も
文法もかなり違う。それでも、少なくとも言語間で相互に翻訳できることからして、なに
もかも違うわけではあるまい。同じ人間、根本的な発想は一緒のはず。
と、思っていたら、単純にそんなわけでもないらしい。
『もし「右」や「左」がなかったら 井上京子 大修館書店』
この本は、言語によって「空間の認知方法」や「物の数え方」がどれだけ違うのかを紹
介している。本のタイトルから想像されるような派手さはないが、テーマごとに整然とま
とめられていてなかなかよい。
内容を少し紹介する。
例えば、日本語、メキシコのマヤのツェルタル語を取り上げて、それぞれの言語でどの
ように空間を認知しているかを比べてみよう。
例えば下のような絵を見せて、「この絵を説明してください」などと質問する。
我々日本語話者なら、どうやって表現するだろうか。
まず、絵Aだけを見せられたなら、
(1)男の人と木が立っています。
で事足りる。ところが、もう一枚の[絵B]があったらどうだろう。今度は男の人と木と
の相互関係を区別するような表現を用いなければならない。例えばこんな具合に。
(2a)[絵A]は男の人が木の左に、[絵B]は男の人が木の右に立っています。
しかしツェルタル語の話者は、右だの左だのといった表現は使わない。いや、使わない
どころか、ツェルタル語にはなんと「左」や「右」という語彙そのものがないらしい。
そのかわりに彼らは、上り側や下り側といった表現を使う。
(2b)[絵A]は男の人が木の下(くだ)り側、[絵B]は男の人が木の上(のぼ)
り側に立っています。
この、上り側と下り側という表現は、彼らの住む地域の地形に由来する。彼らは山の中
腹で生活しているため、常に山の上り側と下り側という方向が意識される。それに伴い、
位置や空間を示す表現も、上り側、下り側という語彙が使われているようだ。
いま、彼らが北から南に下る斜面に住んでいるとしよう。この場合、彼らは北を上り側、
南を下り側と表現する。
それでは東と西はどうなのかというと、彼らはただ「横」とだけいう。東であろうと西
であろうと区別することなくただの「横」なのである。
従って、もし彼が北を向いているときにこの2つの絵を見せたならば、彼は絵の違いを
説明するのに少々てこずることになるだろう。なぜなら、彼は左と右あるいは東と西を区
別する語彙を持っていないのだから。彼はこの2つの絵の違いを、何か別の目印を基準と
した遠回りな説明で表現するはずだ。
さて、最後に、やはり上記の本にかかれていることをもう一つ。
ウサギ、ヒツジ、アメリカ人の共通といったら何が思い浮かぶだろうか。実はこれらは
みな、アメリカに長く住んでいる日本人の子供たちが、こうしたものを数えるとき「一匹」
という助数詞を使った例である。
普通の日本人ならば、これらはそれぞれ一羽、一頭、一人と数えるわけだが、果たして
この子供たちが大きな間違いをおかしていると言い切れるだろうか。
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